折々に思うこと その5

 去る7月14日に終業式を、翌15日に年長さん達の「お泊り保育」を実施し、第1学期が終了しました。
今、園は長い夏休みに入っています。
夏休み中も預かり保育の子ども達が毎日30名から40名ほど園で過ごしていますが、園舎の中は、いつもと比べると何となくがらんとした雰囲気です。
先生達も、各研修会に参加したり、夏期休暇や有給休暇を互いに調整して取ったり、自宅での自主研修で過ぎた1学期をじっくり振り返ってもらったりしています。

 過去の一時期、「学校(主に小中学校を指すようですが)の先生達は、夏休みは授業もしないくせに給料はちゃんともらっている。
けしからん」という教師バッシングが、各県や市町の議会などで出て、夏休みが連日研修、研修で埋め尽くされるという事態が生じたようです。
免許更新のための集中した必修の研修も夏休み中に実施されることが多く、先生達の中からは「普段よりも忙しくなった……」という嘆きの声も出ていたことも耳にしました。

 私は思います。
教育にはゆとりが必要だと。
ゆとりをもって子ども達の前に立てば、子ども達の姿がよく見えます。
浮かない顔をした子どもの心の中も推し量ることができます。
そうすると、1人1人に応じた関わりができるようになります。
そのことによって子どもは安心し、先生達は自信を持つことができます。
もちろん、教育基本法に『教育公務員は、己の使命に鑑(かんが)み、絶えず研修と修養に努めなければならない』とありますので、1学期の取り組みをじっくりと振り返ったり、来る2学期の準備を早めにしたり、また特別支援教育やクラス経営等の研修を受けて力を蓄えたりするには夏休みという長い時間は絶好の機会です。
ただ、その他の空いた時間は、夏期休暇や有給休暇等を効果的に取り、身と心(主に心)をじっくりと休めて、来る2学期のために充電をしてほしいものだと。 次々に新たな仕事が増え、だんだんと複雑で難しくなっている今の教育に携わる者にはぜひ必要なことでしょう。
「夏休みは授業もせずいいご身分だね」とか「恵まれ過ぎている」といった目ばかりで見ず、「今の世の中、先生達も何かとたいへんだろうね」という「ゆとりの目」で見ていただけないものかと思います。
社会全体が他者を思いやるゆとりを少しなくしてはいませんか?

 聞くところによりますと、今、教師になりたいという若者の数が激減しているとか。
大学の教育学部を出ても、他の職業に就こうとする若者が増えているとか。
残念の極みです。多忙と煩わしさを避け、安定志向(安易志向)に走る若者を責めるだけで済むことではないように思いますが、皆さん、いかがでしょうか。

 人を人として育てる職業に就きたい、子ども達と毎日腹いっぱい遊びたい、子ども達とともに自分も成長する教師になりたいという若者の夢やあこがれを阻害するハードルがあるとしたら、その高さを少しでも低くして、夢と理想に溢れた若者を教職の世界に導きたいものだと思う今日この頃です。
失礼します。