折々に思うこと その24

 3学期のスタートは、いきなり寒波に見舞われ、出鼻をくじかれました。
2日目の1月9日の夕刻、どんよりと曇った空のもと、雪がちらちらと舞い出し、刺すような、強く、冷たい風が吹き始めました。
ちょっと怖い天候です。
 例年長崎では、積雪はだいたい1月の中旬から2月の初旬にかけて、年に1、2回あるかないかの程度でしょうか。
まだそれには少し早いと思って、私を含め職員も楽観していたところもありました。
 翌朝5時頃起きてみると、私の家の周りは薄く雪化粧!「積もってる!」。
長靴を履いて外に出てみると深さは1センチほど。
でも、コチコチに凍結しています。『これでは今朝の園バスは回せないな』と判断し、
① 道路凍結のため、今朝の園バスは出ません。
② 今日の登園は自由とします。登園する場合は保護者が連れてきてください。
③ 給食はいつものように実施します。
④ 午後の帰りのバスは道路が平常の状態に戻れば運行します。
 以上の4点を緊急メールで各家庭に送り、園はいつもどおりの時間に開けました。
こんな状況では「閉園」と決めれば簡単なことなんですが、両親ともにお仕事をされている家庭はそれでは困ります。
ですから「預かり保育」は極力止めないようにしています。
結局35名ほどの園児がお休みとなり、登園した園児達は、職員と自由遊びに興じて、1日を楽しみました。
 冬場の積雪時と夏から秋にかけての台風の襲来時にこのような緊急時の判断が求められます。
夏から秋にかけて九州地方に接近する台風の数が多い年は結構神経を使います。

 これから書くことをホームページに掲載してよいのか、随分迷いましたが、敢えて書かせていただきます。
私は、テレビのNHKのBSで放送されている「心(こころ)旅(たび)」という番組をよく見ます。
この番組は、火野(ひの)正平(しょうへい)という俳優さんが、自転車で、番組に届いた手紙をもとに、投稿者にとって忘れられない思い出が詰まった馴染の土地を自転車で訪れ、かつての思いを投稿者に代わって追体験したり、偶然出会ったその土地の方々と気の置けない会話を交わしたり、はたまたその土地にあるレストランや食堂にほぼぶっつけ本番で入って、決して高級ではない食事を楽しんだりするといったものです。

 この番組は、月~金まで朝15分、夜に拡大版が30分放送されています。
根強い人気があるようです。それは、投稿者の山あり谷ありの人生が綴られている手紙の内容(火野さんが番組の初めと終わりに朗読する)。
火野さんの、ちょっと危ないところがありながらも、人懐っこく、飾らず、いつも地で行く人柄。
出会ったその土地の人達をすぐに引っ張り込み、展開されるユーモア溢れる対話等が要因だと思います。
視聴後はじわーっと温かい気分になります。
 その根強い人気ゆえでしょうか、この番組は、14年ほど続いている長寿番組でした。
ところが、その火野さんが、昨年の11月に急逝されたのです。
享年74歳。
そういえば近年は自転車を漕ぐのもなかなか難儀なようでしたが、腰の悪化から体調を崩され、あっという間に逝かれてしまいました。
びっくりというところです。
旅の主がいなくなった訳ですから、この番組ももう終了かとがっかりしていたところ、火野さんの仲間の俳優さん達が発起して、1週間交代で代役を務め、先日無事に今年度版が終了したのです。
5~6人の代役さん方、それぞれいい個性が出ていて、毎週楽しく視聴させてもらいました。
 これも火野さんの、幅広く、濃い人間関係、そして先程紹介した彼の人柄ゆえのことだろうかと思いました。
その人がいると「いつの間にかその人の周りに人が集まる」、火野さんという方はそんな人だったのでしょうか。
ですから亡くなった後でも、周りが「ひと肌脱いでくれた」のでしょうか。
 俳優さん方も、それぞれ自分のスケジュールがあったことでしょう。
しかし、何とか調整し、それなりに準備をし、出演された。何かぐっときます。
失礼も顧みずに言えば、火野さんは、少しいい加減なところも感じるし、やや扱いにくいところもありそうな人でした(これは、私の感じ方)。
 そうでありながらも、実は人間として何とも言えない魅力を持った人だったのでしょう。
今回は、火野正平さんという方を通して、人の魅力とは、について考えてみました。
そして私は、これまで生きてきた中で、いったいどれだけの影響を周囲の人に与えることができたのだろうかと省みた次第です。
 遅れましたが、火野さんのご冥福を心よりお祈りします。
また、番組を見られたことがない方には申し訳ありませんでした。
それではこのあたりで失礼します。