折々に思うこと その34

 朝晩が少し涼しくなりましたね。冷やりとした空気に触れると、ほっとするものがあります。先日はエアコンをつけなくとも眠れた日が2日ほどありましたが、皆さんはいかがだったでしょう。私の住むお隣の長与町は斜面を活用したミカンづくりが盛んで、拙宅の前のミカン畑の土手に、いつの間にか朱の彼岸花が数本立っていました。ある朝急に忍者のように立ちます。でも顔を出すのが遅いです。日本人が大切にする季節感に狂いが生じているように思われます。戦争などしている場合ではないと思いますが。

 ところで、お米の値段が下がりません。スーパーのお米コーナーを覗いてみても、消費税込みで、5キロで4000円~5000円ほど。かつては2000円ちょっとで買えたのに。備蓄米を求めようとしても店頭にはほとんどありません。幼児の食欲はさほどではありませんが、食べ盛りの小学校高学年、中学生、高校生の子どもさんを抱えたご家庭はさぞ大変だろうと察します。なんといっても日本人の活力の源泉はご飯ですから。
 しかし、米作農家の方々のお話を聞くと、「以前までの値段ではコメ農家はとてもやっていけません」とおっしゃいます。米作に携わる方々の高齢化、若者の農業離れ、肥料代や新式の機械化の導入に伴う多大な出費等々、生産者側にも重い課題がのしかかっているようです。
 ことは米価の問題だけではありません。今や多くの食料品の価格が軒並み値上がりしていますし、公共交通機関の代金もしかり。入場料が倍近くに跳ね上がった文化施設等もあります。一方、それに見合う働き手の賃金アップはなされていません。
 おりしも新しい自民党総裁を選ぶ政局の真っただ中。立候補者の皆さん、関係者の皆さん、物価の安定を直近の最優先課題として具体的な政策で競ってほしいと思います。とにかくお米の値段が早く落ち着いてくれるといいですね。

 9月から、また毎朝玄関先に立って子ども達をお迎えしています。約1か月近くたちますが、当初は残暑厳しく〝もわっとした〟空気の中に1時間強立ち続けるのは、かなりつらかったです。萎えてしまいそうな気分を立て直してくれるのは、子どもや保護者の皆さんからいただく挨拶です。笑顔とともにかけていただく挨拶は、まとわりつく暑気を振り払い、背中をしゃきっと伸ばしてくれます。
 私が玄関先に立って挨拶をするようになったのは、中学校の教員をしていた30歳過ぎからでした。当時の校長先生から「一緒にやろうか」と勧められてからです。学校は正門(表門)と裏門があり、生徒はどちらから入ってもよかったので、月・水・金は正門に、火・木・土は裏門に立っていました。
 正門に立っていると、年のころ60歳前後と思われる小柄な女性が、毎日、ほぼ決まった時間に私の前を通って行かれるのに気づきました。通勤途中と思われます。バッグを肩に掛け、そのバッグの肩紐を両手で押さえ、やや前かがみの姿勢で、歩幅は狭く、小走りのような速い歩きで、すたすたと通り過ぎて行かれます。表情はやや厳しめです。
 ある朝、私は意を決して、「おはようございます」と女性に挨拶をしました。その方は、びっくりしたような顔をして、私を一瞥するや、そのまま歩いて行かれました。私は、次の日の朝も、その方が私の前を通り過ぎる時、挨拶をしました。なんとなく「おはようございます」というくぐもった声が聞こえたような気がしました。その次の日の朝も挨拶をしました。今度は伏し目がちながら「おはようございます」と聞こえました。その次の日からは、はっきりと聞こえる声であいさつを頂くようになり、寒い朝には「今朝は冷えますね」といった簡単な時候の言葉も添えられるようになりました。厳しめだった表情も徐々に柔らかくなり、短いやり取りながら、その方の人柄も徐々に伝わってきました。その方との挨拶のやりとりはその後数年続いたと思います。
 やがて、私の転勤とともにそれも終わりましたが、挨拶を通した交流の思い出として未だに心に残っています。40年ほど前のことがふっと脳裏をよぎった次第です。今日はこのあたりで失礼します。