折々に思うこと その40(R8 立春)
昨年長く続いた酷暑の時期を振り返ると、やがて来る冬は果たして寒くなるのだろうか?案外この夏の暑さを受けて暖かい日がずっと続くんじゃないだろうかと、そんな思いもちょっと頭をよぎったものですが、どうして どうして、今年の冬も昨年の冬に続いてしっかりと冷えましたね。
北海道や東北地方などの寒冷地では、例年の2倍~3倍の積雪だとか。高齢者の皆さんが、1日中くたくたになりながら雪下ろしに精を出されている映像を何度も見ましたが、正直、「とてもじゃないけどできないよ」と思ったものです。夏は焼けつくような暑さ、冬は凍てつく寒さ、異常乾燥の中で次々に発生する山林火災、地球環境のメカニズムが少しずつ狂い始めているようだと、どこか薄ら寒ささえ覚えます。やがて園児達が世の中を背負って立つ頃、地球は大丈夫だろうかと思います。
先日、所用で長崎駅まで行きました。お土産売り場の近くを歩いていると、後ろから「あのー、山津校長先生ですよね」と声をかけられました。振り向くと1人の若い女性が立っています。マスクをしているので顔はよく分かりません。「そうですが‥‥」と返事をすると、「私〇〇です(以下M子さんとしておきます)」と返ってきました。数秒の後、「あーあ、M子さんね。久しぶり!」と了解。
M子さんは、私が定年まで5年間務めた中学校の生徒でした。M子さんは、私がその中学校勤務3年目に入学し、私と一緒に卒業(私は退職)しました。M子さんは長距離走に秀でていて、入学後からすぐに頭角を表し、3年間校内では敵なし、いえ、校内どころか地区内、県内、九州内でも彼女をしのぐ選手は現れませんでした。駅伝大会では、常に1区かアンカーを任され、チームを数多くの優勝に導いた立役者でした。全校集会で、彼女を何度表彰したかしれません。また人柄も素晴らしく、クラスの学級委員、合唱コンクールの指揮者などにもよく推薦される人物でした。
12月に開催される「全国中学校駅伝大会」にも3年連続で出場し、3年生の時には1区でみごと1位を獲りました(2年生の時には2位)。卒業時にはあまたの駅伝強豪校から誘いがあり(遠隔地では愛知県の高校からも)、進路には随分迷ったようですが、結局県内の高校へと進学。高校駅伝でも、その実力をいかんなく発揮し、都大路を駆け抜けました。卒業後は近畿地方の社会人チームへと進みました。
その後の消息は分かりませんでしたが、今そのM子さんが、私の目の前に立っているのです。「いやあー、久しぶりだね。高校卒業後社会人チームへ進んだことは聞いていたけど‥‥。それで、今は?」「はい、社会人で計5年間走りまして、そこで引退して長崎に帰ってきました」「そうだったんだ。そして?」「はい、今は長崎駅横の商業施設で仕事をしています」「あーあ、そうなんだ。よく声をかけてくれたね。とても嬉しいよ」
社会人チームでの競技生活がどうだったかは聞きませんでした。あまり細かく聞くものでもないとも思いました。ただ、社会人チームでの5年間、競技生活の中でいろいろな人生勉強をしたはずです。まだ20代の半ば。これまでよりずっと長い「これからの人生」をしっかりと生きてほしいと心の中で願いました。わずか5分程度の会話の後「それじゃ、元気でね」と言って別れました。
私は、雑踏の中で、私を見つけて声をかけてくれた彼女の姿勢(心)をとても嬉しく思い、その日は1日幸せな思いで過ごしました。今日はこのあたりで失礼します。

