折々に思うこと その38(R8 1月)
皆さん、明けましておめでとうございます。いい新年を迎えられましたか。
変化の激しい世界情勢の中で、2026年(令和8年)は、地球規模で、我が国にとって、そして職場や自分や家族にとってどういう年になるのか、言い当てるのはなかなか難しくなってきていますね。
我が国の指導者の国会での答弁内容が、隣国との関係を急速に悪化させ、言いがかりとも思える理由で、日々種々の問題が引き起こされています。
かたや、世界の各地が豪雨による大洪水に見舞われたり、大規模な森林火災が頻繁に発生したりしており、グローバルな環境破壊が進んでいます。しかし、大国の指導者たちは、それらをさほど切実な問題とは考えていないようです。自国の利益最優先のエゴ丸出しの姿勢は関係諸国にとっては脅威です。
このような中で、私たちはどう考えて生きていけばよいのでしょうか。世界のパワーバランスが崩れて、ある日突然、対岸の火事では済まない局面がつくり出されるかもしれません。個々は微力ではあっても、時々は立ち止まって、我が国の、そして自分たちの立ち位置を確かめたり、先哲の教えを羅針盤としたりしながら、これからかなり長期にわたって続くであろう困難な諸課題に対峙していかなければなりません。
ところで恐縮ですが、私は午年生まれの年男です。6回目の年男になります。次は84歳。大丈夫だろうか、いや無理だろうという思いが微妙に交錯します。現在以降は神のみぞ知る領域。とにかく健康に留意して日々を大切に過ごしていきたいです。
今回は、昨年の9月7日(日)のある新聞に掲載された、中島さん(71歳)とおっしゃる男性の方からの投稿記事を紹介したいと思います。「教育とは何か」について考えさせる内容です。
~ 心救われた言葉 ~
小学2年生の冬に父が亡くなった。自宅での葬儀には担任のY先生も参列してくださった。30代の上品な女性の教師だった。
忌明けに登校した日の最初の授業が音楽だった。縦笛で課題曲の練習をしておくように言われていたが、僕は全くできていなかった。
4~5人ずつ順に前に出て、クラスの皆に演奏を披露することになった。刻々と順番が迫ってくる。心臓の高鳴りを抑えることができない。ついに僕らの順番が来て、演奏が始まった。凍りついたような数分間だった。
演奏が終わり、急いで席に戻ろうとした時、ある友だちが「中島君はぜんぜん指が動いとらんやった!」と声をあげた。僕は地獄に突き落とされた思いでただうつむいていた。
すると、先生の声がした。「指を動かさないで吹けたのなら、中島君すごいじゃないの」。僕を告発した友だちにすれば納得いかなかったのに違いないが、僕の心は救われた。
それから30年の歳月が流れ、先生を訪ねる機会を得た。どうしてもあの時のお礼を言いたかったのだ。
先生は「そんなことあったかしらねえ」。そう言って笑われた。
少年は、30年間ずっとこの先生の言葉を心に留めておいたんですね。いや、心に残ったんですね。どん底に突き落とされた少年を救った先生のさり気ない、でも機知に富んだ言葉は、なんとも教育的だとは思われませんか。私はこの先生に、言葉のセンスと教師としての豊かな資質を感じました。教育とは、日々の些細な日常の中で、静かに子どもの心を後押しする言葉であると思いました。
今日はこのあたりで失礼します。


