折々思うこと その3
最初は私事を少しお話しします。
私は最初から幼稚園に勤めていたのではなく、元々は中学校の国語の教員でした。
ご存じのように、長崎県は多くの離島を抱えています。
県の方針に、「在職中に必ず一度は離島勤務を経験すること」が明記されてあり、全ての教員に義務化されています。
私は45歳の時、九州と韓国の間にある対馬に赴任しました。
対馬は南北に長い島で、私の赴任校は、その最南端に近い全校生徒19名の小規模校。
対馬では4年間勤めましたが、本土の大きな学校ではできない、たくさんのことを経験しました。
例をひとつ。対馬では運動会は秋です。
学校の、というよりも集落に住んでいらっしゃる皆さんの運動会で、半分ぐらいは大人の種目。集落のほぼ全ての方が参加されます。
一大イベントです。
そして、多くのおじいちゃん、おばあちゃんがご祝儀(1,000円が多い)を下さいます。
それを受付で頂くのは新任教頭の私。
と、あるひとりのおばあちゃんが1万円札を出されました。
「これは頂き過ぎじゃないでしょうか?」と言った私に、そのおばあちゃん、「9千円お釣りばくれんね(9千円お釣りをください)」……ご祝儀を頂いておつりをくれ、と言われたのは初めてでした。
多くの強烈な印象を残した懐かしい思い出の中学校も、他の大きな中学校に統合され、今はもうありません。
さて、鳴鼓幼稚園は、2歳児が数名と年少組(3歳児)・年中組(4歳児)・年長組(5歳児)で合計100名ほど。
「健康な体と豊かな心をもった元気な子どもを、集団生活を通して育てる」のが園の目標です。
子ども達は幼稚園に来て初めて集団生活を経験しますが、集団生活を通して人との関わりを深めていくためには「ことばの習得」が欠かせません。
入園当初は先生から質問されたことに対して、首を横に振るか、縦に振るかの意思表示が多かった子ども達が、配慮された言語環境の中で、必要に応じて言葉の数を増やし、ことばの使い方を覚えていきます。
卒園する頃には、私たちとほぼ不自由なく会話ができるようになり、私たちの話を理解することができるようになっていきます。
ことばの育ちの例をひとつ。年長さん達と仲良くなった私は、2階(年長さんの保育室や広いお遊戯室がある)に上ってくるように誘われます。
上っていくと、お遊戯室に園児が1人いて、「園長先生、手をつなごう」と言うので、正対して右手同士、左手同士をつなぎます。
「しゃがんで」と言うので手をつないだまましゃがむと、カーテンの陰に潜んでいた他の園児が数名、突然私に体当たりしてくるのです。
手の自由を奪われた私が床に倒れると、その上に園児達が飛び乗って勝利宣言。
この園長攻略作戦には、①私を2階に誘う役、②私の両手の自由を奪う役、③私に体当たりしてのしかかる役等の役割分担が必要であり、それは計画に加担した園児達が集まって、リーダーの下にことばで確認されます。
ことばが強力チームをつくるのです。
「ことばの力恐るべし」ですね。