折々思うこと
私は、お隣の長与町に住んでおります。
私の家の前の道は、「琴の尾岳」という山の登山道につながっています。
「琴の尾岳」は標高450M余りの山ですが、登山道はけっこう急峻で下から登ると息が切れます。
頂上からは、近くの鳴鼓岳、岩屋山、稲佐山、長崎港はもとより、遠くは雲仙普賢岳、有明海、諫早太良山系、大村湾まで俯瞰することができます。
登山道を登ると、15分程で「大毘沙門天王」と鳥居に掲げられた小さな神社に行き着きます。
私は鳥居の前で立ち止まり、神社に向かって一礼します。
そこを過ぎると15分程で「扇塚公園」と呼ばれる、なるほど扇の形に似た広場に行き着き、更にそれから20分程急坂を登ると頂上です。
若い頃は、週に1、2回は頂上を極めていましたが、最近は神社や扇塚公園までの往復が多くなりました。
長年慣れ親しんだ山道(舗装され車が通れるほどの道幅がある)ですが、1,2年前から1つの変化が起こりました。
近くに住む方(Sさんとしておきます)が、定期的に、竹ぼうきを持って山道を清掃しておられる姿を見かけるようになったのです。
長靴を履いて、バンダナを巻いたお洒落な出で立ちで、携帯ラジオのFMの音楽を鳴らしながら、ざっ、ざっと落ち葉を掃いておられるのです。
Sさんが掃かれた後は、山道には何も落ちていません。雑巾できれいに拭き上げた廊下のようです。
なんだか歩くのがはばかられます。
清掃中のSさんと出会った時には、「ありがとうございます」とお礼を言いますが、Sさんはにっこり笑って一言「いいえ」と返されます。
そのあっさりした態度に親しみを覚えます。
ただ、きれいに掃かれた道は、2、3日もすると、また元のように落ち葉だらけになります。
私など、その光景を見ると「掃わいたって一緒たい(掃いても結局同じことじゃないか)」と思うのですが、Sさんは再び竹ぼうきを持って、せっせ、せっせと仕事をされるのです。
特に落葉の多い4月から5月はその繰り返しです。
私は、そんなSさんの姿に何かを感じます。「尊い」といったらやや大げさでしょうか。
ところで、私が勤めている幼稚園でも似たようなことがあります。
幼稚園には園児用のトイレが1階と2階に2か所あります。
入り口には、スリッパが10足ほど並べてありますが、使っているうちに並んだスリッパは乱れていきます。
中には裏返しになったままのものもあります。
園では、きれいに並んでいる時の状態を写真に撮り、写真の上に「すりっぱをならべましょう」と注意書きしたものが掲示されてあります。
トイレは大人も共用なので、私も使用しますが、行くと乱れていることが多いのです。
でも時々はっとするほど整然と並んだ光景を見ることがあります。実に気持ちがいいです。
「整う」というのは人の心に「快」の感情を生むのでしょうね。
日本人は特に、という気もします。先日は、誰もいない中で、静かにスリッパを並べている1人の園児に出会いました。
思わず「ありがとう。うれしいなあ」と声をかけました。
その子はいい顔になっていました。
日々の生活の中でそのような場面に時々出会いたいものです。